祈年祭は神と天皇との矛盾のなかで衰えていったとのことですが、農耕予祝儀礼そのものがなくなってしまったのでしょうか。

そういうわけではありません。農耕の豊穣を祈る祭儀、あるいはそれに感謝する祭儀は、年中行事のなかで最も基本的なものです。民間では古来より現在に至るまでずっと続いていますし、国家的にも形を変えて存続してゆきます。国家祭祀の形態は、祈年祭にみるような班幣体制に無理がみえはじめると、6〜7世紀段階からの王権の守護神(畿内の伝統的神社)が内廷に取り込まれる一方、地方では国単位で祭祀の再編成が図られてゆきます。天皇の有していた祭祀権は国司へ分与され、国の神社を代表する総社や、諸国一宮が成立してゆくのです。