神体山の話を聞いて、『千と千尋の神隠し』のなかで、コミで汚染された川の神が出てくるエピソードを想い出しました。日本ではこのような話が多いのでしょうか?

神殺しというより、人間の開発行為によって神が苦しむという物語ですね。これは、古代においてはあまり出てこないのですが、中世付近になってきますと時折見受けられるようになります。神の地位が、人々のメンタリティーのなかで動揺している結果でしょう。例えば『今昔物語集』には、推古朝の元興寺飛鳥寺)創建工事が、その地にもともと生えていた大きな槻(ケヤキ)を伐る物語として語られます。ケヤキに住む神々は、木を伐ろうとする工夫たちを尽く撃退しますが、自分たちの内緒話を樹下で休んでいた僧侶に盗み聞きされ、神々を撃退して大木を伐採する方法を知られてしますのです。話の形式としては、やはり中国に先例のある〈大木の秘密〉と呼ばれるものですが、それが日本社会に受け容れられるようになったことに意味があります。実は、この話に登場する大槻は飛鳥時代に実在したのですが、当時は神聖視され、もちろん飛鳥寺の創建によっても伐採されませんでした。その大切な木を、人々は心のなかで伐ってしまった。そうした心性の変質が重要なのです。