2009-06-12から1日間の記事一覧
『往生要集』を著した源信の師匠である良源は、天台宗では、草木成仏論の喧伝者のようにいわれています。彼の説では、生命が生から死に至る四相=生・住・異・滅、植物にもあるその時々の姿が、そのまま発心・修行・菩提・涅槃を表すとなっています。すなわ…
神殺しというより、人間の開発行為によって神が苦しむという物語ですね。これは、古代においてはあまり出てこないのですが、中世付近になってきますと時折見受けられるようになります。神の地位が、人々のメンタリティーのなかで動揺している結果でしょう。…
現在、奈良時代の仏工として名前の分かっている人は17人いますが、そのうち2人が秦氏です。秦自体の規模が大きいことはもちろんですが、それでも2/17というのは結構大きな比率でしょう。17人のなかには丹生を扱う息長丹生氏もいますが、秦氏が鍍金の作業に…
埼玉のハニウは恐らく「埴生」で、埴輪の転訛したものと考えられているようです。ニウの名のある地名は水銀と関わるものが多いのですが、それも正確にはケース・バイ・ケースで、個別の検討を厳密に加える必要があります。
顔料なので、やはり絵を描くのに用いられていますね。秦氏には、「簀秦画師」という複姓を持った者もおり、注意されます。
もちろんです。日本の色彩への感性は、中国との関わりのなかで培われていったといっていいでしょう。自然現象の種類、植物や動物の種類にしても、古墳時代の列島の人々は、さほど豊かに認知できてはいかなったと思われます。それが、漢籍類書(百科事典)の…
邪馬台国は魏へ朝貢していますから、存在自体は認めていいでしょう。しかしその行程の記述は、以前から様々な学説があるように、恐らく正確ではありません。魏にとって邪馬台国など「取るに足らない」存在でしょうから、あまり気にとめなかったのが真相だと…
対馬や壱岐、筑紫に対しても「国」としていますので、小国が連合しているような姿を思い浮かべていたのかも知れません。ヤマトがその盟主なのだということでしょうね。6〜7世紀段階でいえば、それは案外正鵠を射ている見方だったともいえるでしょう。