予言という話がチラリと出ましたが、東洋史概説で、古代中国の占いでは当たったものしか記録しなかったという話を聞きました。古代日本ではどうだったのでしょう?

正確には、中国でも「当たった内容」ばかりが記録されていたわけではありません。殷代の甲骨文にも、例えば王の占断の結果が事実と異なるという内容のものが確認でき、王に対する直諫を意味するのだと想像する見解もあります。やはり、基本的には、占いは占いとして機能していたと思われます。ちなみに日本では、『書紀』や『古事記』『風土記』などの奈良期文献については、やはり編纂史料であるためか、占いが外れたという記録はあまり見受けられません。しかし、平安期の貴族日記など古記録になりますと、神祇官陰陽師の卜占結果の不備、それへの疑問などが正直に書き込まれています。