文武の時代に鉱物資源がたくさん発見されたのは、方法や技術が改良されたからではなく、それ以前にあまり採掘されていなかったからでしょうか?

文武朝の鉱物貢上は文武天皇2年に集中しているので、計画的に調査と採掘が行われたものと考えられます。恐らく、工業についても制度・施設の整備が進められていたので、これまでの各国の産物資料を中心に大規模な調査が行われたのでしょう。当時の国家体制が在地首長の協力のもとに機能していたことを考えると、この貢上は天皇権力の諸国への浸透の意味も持っていたといえるでしょう。