沖ノ島で航海の安全を祈ったとありましたが、玄界灘のなかで沖ノ島がそうした位置づけをされたのはなぜでしょうか。

古墳時代には、歴史時代の神社に結びつくような祭祀遺跡が出現しますが、それらの多くは、人間の開発が拡大したその向こう側の領域へ設定されてゆきます。例えば山の神聖視も、弥生期〜古墳期にかけて麓の開発が進むにつれ、次第に禁足地化が進んでゆくことになります。縄文時代には人の生活の痕跡が確認できたものが、弥生期に至って次第に高山へは入らなくなる、山へ登らなくなるといった事例が増えてゆくようです。壱岐対馬にも航海の安全を祈る神社は存在しますが、やはりそれらは人が生活している場所です。それに対して沖ノ島は海の孤島で、生活領域とはなりえなかったために、神の島としての位置づけが確定したのでしょう。