『史記』滑稽列伝における西門豹の治水に関する話でも、水神は若い女性を捧げると落ち着くとされましたが、李冰の物語でも娘がキーワードになっています。なぜ「若い娘」である必要があったのでしょう。 / 李冰が、自分の娘を神に嫁がせようとしたのにはどのような意味があったのですか。

やはり神婚という形式を前提としているので、初婚=未婚の女性を神の相手に選ぶというのが慣習だったのでしょう。この点、中国と日本には少々差違があったようで、近年の日本古代祭祀の研究によれば、古代の神に仕える女性は(奉祀期間に精進潔斎していれば)必ずしも未婚でなくてもよいと考えられていたようです。これは、家父長制の浸透など、社会における女性の地位・位置付けの相違に由来する現象でしょう。なお、李冰が自分の娘を嫁がせようとしたのは、伝承の形成過程を考えれば、確かに自己犠牲をもって祭祀を存続しようとした時期の反映とみることもできます。ただし、現在我々がみる伝承における文脈としては、河神を殺害する計略の一部であったと考えられるでしょう(『三国志演義』の美女連環の計のように)。