李冰の伝説で、牛の腰に白い部分があれば印綬だという件がありましたが、印綬の有無を国家による公認/非公認と捉えることは可能なのですか?

公認/非公認というより、李冰の背景に王権の権威が存在することの暗示とみてとれるでしょう。『日本書紀』や『常陸国風土記』の神殺しの伝承に、「たとえ神であっても、天皇の命令に逆らうことができようか」といった、英雄が皇権によって支持されていることを示す台詞がありますが、李冰の印綬はそれと同じものと考えられるでしょう。六朝期の祟り神のなかにも、印綬を与えられたり、爵位封地を与えられることで鎮まるというものがいますが、中国においては、結局神々も王権の枠組みのもとで存在を許されているということだと思われます。神話的には天の王権が地上の王権に正当性を与えているため、歴史的には地上の王権が天の王権に投影されているためでしょう。