2009-07-17から1日間の記事一覧

現在の京都の地名「壬生」は、乳部と何か関係があるのですか。

そうであったら面白いのですが、現在の壬生は、湧水が多かったために「水生」と称されたことが起源であるようです。湿地帯なんですね。

葛野大堰は、具体的にどれほどの人員と期間をかけて造営されたのでしょうか。

残念ながら、葛野大堰に関する文献史料は講義で挙げた『政事要略』のものだけなので、成立過程に関する具体的なことはよく分かっていません。考古学的には、渡月橋の南東傍らから、古墳後期の大溝(大堰からの水路)が発掘されていますので(松室遺跡)、6…

李冰を祀る二王廟に、「二郎」という名前が出て来ましたが、単に次男のことをいっているのですか。それとも、「二」に何か特別な意味があるのでしょうか?

直接的には次男のことを指します。民間信仰の世界では、この李二郎をモチーフとして二郎真君という英雄神が誕生し、『西遊記』や『封神演義』といった伝奇小説・演劇などでも大活躍します。「二」の意味についてはいろいろ考察することが可能ですが、家制度…

古代の民衆にとっての寺とは、現在の我々に対する場合と同じような価値を持っていたのですか。

かつては、例えば国家仏教の官寺などの活動は民衆にとって無縁であったと考えられていましたが、近年の研究によって、国家公認の官僧が広く地方へ赴いて一般へ布教したり、東大寺のような大寺院へも庶民が参詣していたことが明らかになってきました。古代人…

なぜ牛は、水や川との関係で神聖化されるのでしょうか?

狩猟採集社会においては、それぞれの自然環境を象徴するような動物が、「主」として信仰されていたようです。例えば、湿地帯における蛇、山における熊、海におけるシャチといったような存在です。牛や馬は水辺に生息していたので、水と関連付けられて神格化…

広隆寺が治水機能において人心を集め、後々まで存続することになったとのことだが、後世にも桂川の氾濫は続いたはずではないか?

当然そうですが、逆にいうと、時々は氾濫が民衆に被害を与えなければ、広隆寺の恩寵が際立たないということもあります。被害が生じたときには、「民衆の側に災害を被る必然性があった」などと喧伝することで、治水機能が発揮されなかった言い訳をすることが…

李冰の伝説で、牛の腰に白い部分があれば印綬だという件がありましたが、印綬の有無を国家による公認/非公認と捉えることは可能なのですか?

公認/非公認というより、李冰の背景に王権の権威が存在することの暗示とみてとれるでしょう。『日本書紀』や『常陸国風土記』の神殺しの伝承に、「たとえ神であっても、天皇の命令に逆らうことができようか」といった、英雄が皇権によって支持されているこ…

『史記』滑稽列伝における西門豹の治水に関する話でも、水神は若い女性を捧げると落ち着くとされましたが、李冰の物語でも娘がキーワードになっています。なぜ「若い娘」である必要があったのでしょう。 / 李冰が、自分の娘を神に嫁がせようとしたのにはどのような意味があったのですか。

やはり神婚という形式を前提としているので、初婚=未婚の女性を神の相手に選ぶというのが慣習だったのでしょう。この点、中国と日本には少々差違があったようで、近年の日本古代祭祀の研究によれば、古代の神に仕える女性は(奉祀期間に精進潔斎していれば…

秦氏が治水を行ったのは、渡来人として技術を持っていたたためなのですか。

秦氏の葛野定着を偶然ととるか、それとも王権の意志の介入を考えるかによって、位置付け方は違ってくるでしょう。私は講義でお話ししたとおり、両方の面があると思っているのですが、いくら渡来系であるからといって、秦氏のすべてが治水技術に秀でていると…