死んでしまった家畜はどのように処理していたのでしょう。馬を食べる風習はいつからあったのですか?

現在に繋がる馬は古墳時代、乗馬の風習とともに半島や大陸からもたらされたものと考えられています。当初から家畜として輸入、王権や地方勢力の牧などで飼育され、軍事・交通を主な目的に使用されました。また、供犠のために殺される事例や、役に立たなくなったものを解体して肉を食用、皮革を工芸のために用いることが早くから行われたようです。斃牛馬の〈処理〉については、薬用に用いる脳髄や胆嚢、工作に用いる皮や角などを取り、また皮・肉は市で売却することもありました。その背景には、すでに肉食の存在が窺えます。古代国家の基本法典である律令にはそれに関連する条文もあり、例えば『養老厩牧令』第26官馬牛条には、「すべて官の馬牛が死んだときは、それぞれの皮・脳髄・角・胆嚢を取れ。もし牛黄が得られれば、別に進上せよ」、同第27因公事条には、「すべて官の用事のために官・私の馬・牛に乗り死なせてしまった場合、明確な理由があって目撃者の証言も確実ならば、官牛馬の場合は弁償を免除し、私牛馬の場合は官が弁償する。斃牛馬の皮・肉は現場の官司が売却し、代価を所属の官司へ送り返せ。もし正当な理由がなければ、相当の価を弁償させよ」などと記されています。