亀卜はどれくらいの頻度で行われたのでしょう。時期やタイミングは決まっていたのですか?

旧石器などの古い時代では、神的なものへ伺いを立てたい特別な情況でしか使用しなかったでしょうが、殷代には日常茶飯事、毎日毎日何度も何度も、王の一挙手一投足や国家の運営に関して飽きるほど熱卜を繰り返していたようです。例えば「旬卜」という方法がありますが、これは10日間の王の安全・吉凶について、10日ごとに占うものです。古代日本でもよく似た形式のものが残っていまして、「御体御卜(おほみまのみうら)」と呼ばれます。これは毎年6月と12月に、半年間の天皇の安全・吉凶を占う亀卜の行事です。特定の神々を祭場に勧請して、それぞれが天皇に祟りをなすかどうか確認してゆくのですが、意外なことに、平安時代において最も天皇に祟ったのは、祖先神であるアマテラスであったようです。