昔の歴史書を編集する人たちは、どのような気持ちで編集していたのでしょうか。後世に史実を伝えようという意図は、少しはあったのでしょうか。 / 今、私が好きで観ている新羅の歴史ドラマには、権力掌握のために歴史を書き換えるシーンが出てきます。日本でもそのようなことが起こっていたのでしょうか。

東アジアの国家的歴史叙述の原型は中国王朝のそれですが、そこでは史官たちが、各王朝に官僚として奉仕しながら、「天」という君主への忠義とは別次元の秩序を奉じて記録と編集に携わっていました。権力から叙述の変更を要請され、拒み続けて自ら命を絶った史官たちの伝記も残っています。しかし、すべてが清廉潔白であろうはずはなく、偽書偽史といわれる根拠のない書物、改竄された記録や偏向した叙述も多く残っています。前近代においては、歴史は「過去そのもの」としてよりも、現代との関係で価値付けられる(教訓として現代を相対化し矯正したり、逆に正当化したりする)ものだったからでしょう。ゆえに歴史叙述は、常に、現代批判としてのベクトルと現代の正当化としてのベクトルの間で揺れ動き、捏造の危機に曝されてきたといっても過言ではないと思います。しかし歴史学の対象としてみれば、嘘が書かれている文献は価値がなく、事実を述べている文献のみを扱えばよいということにはなりません。虚構の史料であっても、それゆえに、書かれた当時の世相や関わった人々の心性を克明に伝えてくれることもあるのです。