聖徳太子の存在や信仰は、地方の末端の人間にはどのように伝わり、理解されたのでしょうか。

王権の側が盛んに宣伝したのは確かですが、最も大きな役割を果たしたのは僧侶でしょう。8世紀の早い段階から、官寺に所属する僧が求めに応じて地方豪族のもとに赴き、法会などを執り行っていることは諸史料に確認されます。国家に公認されていない私度僧の場合には、さらに広汎な活動を想定できます。彼らが日本仏教の祖としての太子イメージを広めた可能性はあります。しかし、本当に爆発的な民間への浸透を生じるのは中世になってからで、太子信仰を強固に持った浄土真宗の活動が大きいと思われます。