他界への入り口が時代によってコロコロ変わるというのは、いくらなんでも適当すぎるのではないでしょうか。普通このような信仰は、そう簡単に変わるものではないように思うのですが。

コロコロ変わるといっても、少なくとも100年以上の開きがあるのです。朝鮮半島や大陸の文化が激しく流入してくる時期ですから、他界観の変質が起きていてもおかしくありません。また、出雲に黄泉国がある、紀伊に根国があるというのはあくまでヤマト王権の他界観で、列島各地ではまったく別の認識が定着していたと思われます。一説では肥前国松浦にあったという「みみらくの島」は、『蜻蛉日記』に、死者と会話ができる場所として登場します。他界への入り口は、小さなものまで含めれば、それこそ日本各所に確認できたことでしょう。