史料4で、長屋王の生前と死後では、王の態度のあり方が相違するように思うのですが。死んでしまうと、本人の意図とは関わりなく祟ってしまうのでしょうか。

確かに悪霊になってしまうと、人間であったときのような心身の抑制はとれなくなると考えられた節もあります。日本の古代仏教が模範とした中国の六朝仏教では、疫病をもたらす鬼神も「前世の罪業によって悪身を得てしまったもの」と解釈していたようです。それゆえ善業を施し解脱させねばならないのですが、長屋王は仏教の嫌った五辛のひとつ「椒」の名の付いた地に送られているので、永久に救われない存在と位置付けられているのかも知れません。