もとになった『太平広記』の虎の話にはトーテム的要素がないのに、日本の鍛冶屋の婆には狼の子孫の問題が出ていました。これはどうしてでしょう。また、なぜ鍛冶屋なのでしょうか。

「鍛冶屋の婆」に出てくるトーテム的なくだりは、おそらく憑き物信仰に基づく記述でしょう。これは近世の民話世界で濃厚になって行くのですが、例えば貨幣経済の農村への浸透によって、これまでとは違い突如裕福になる家が出てくる。そのとき所属の村落成員が、まさに「出る釘は打たれる」式にその家を攻撃するため、「あの家は廻国巡礼の僧侶を殺して金品を奪った。ゆえに必ず奇形の子が生まれる」だの、「あの家は狐を使って金を儲ける狐憑きの家で、代々狐に似た子が生まれる」だのといった、差別的言説を生み出してゆくのです。鍛冶屋のトーテム的記事も、恐らく類似の心性に基づくのではないでしょうか。鍛冶屋は農村のなかにあって商品経済と結びつく家であり、また共同体と完全に融和しない独自の歴史、信仰、文化を持った家でもあります。そうした意味で、非難の対象、不満のはけ口になるようなこともあったのでしょう。また、避邪の力がある刀を扱う家として、逆に邪気に結びつけられやすかった(追儺の方相氏が追われる立場になるように)こともあると思われます。