『叡山大師伝』で、賀春神が梵僧の姿となって現れたのはなぜでしょうか。

よく気づきました。この表現にはさまざまな問題が隠されています。ひとつには、中国で夢に梵僧や金人(金色に輝く神人)が現れて僧侶に夢告を行う、という言説形式(物語、表現の型のようなもの)が存在することです。『大師伝』はこれに倣っているのでしょう。しかしいまひとつ重要なのは、賀春神が『肥前国風土記』や『日本三代実録』、『延喜式』などの文献では、女神として表記されていることです。最澄の著作のなかには、当時の仏教の常套的なあり方として女性蔑視の記述がみられます。もしかしますと、そうした観点から、自分(伝記をまとめた弟子の立場からすると師匠)の守護する神をインド僧(恐らくは仏のようなもの)に表現し、性別を超越した存在として位置づけたかったのかも分かりません。また賀春神は新羅から渡来してきた神なので、列島所産ではない出自を示しているのかも分かりません。