異類婚姻譚のうち、女性が異類の仲間になってしまう場合と死んでしまう場合がありますが、その相違は何なのでしょう。たまたま出会ったり、連れて行かれたりという遭遇の仕方の違いも気になりました。

そのような微細な相違に着目するのは重要なことです。同一の神話形式に語り方の相違があるのは、ひとつには社会における機能、役割が相違しているからで、その背景には語られる時代の相違があります。例えば女性が異類の仲間になってしまう場合は、未だ異類が交換の対象として認められている段階でしょう。それが殺されてしまう場合、もはや交渉しえない絶対的な他者として、関係が断絶してしまっているのだと解釈できます。後者の方が新しく、異類への祭祀などは「過去のもの」になっていることが多い段階です。しかし、すべてがこのように「歴史学的に」理由付けできるとは限らず、語り手のパフォーマンスに由来しているという場合もあります。いずれにしろ、丁寧に読み込んでゆくのは必要なことです。