三森山のお堂に四天王の名前を書いた幡が立っていましたが、生と死の狭間に四天王を祀るというのはどういう意味があるのでしょう。

とくに、四天王であるということと、死者の世界の入り口であるということに、繋がりを見出しているわけではないのだろうと思います。それぞれのお堂に安置されている如来を守護する存在として、四天王の幡を立てて飾っているに過ぎないと思われます。しかし、邪鬼を排除するという意味では、しっかり四天王としての機能を果たしているのでしょうね。