検非違使の様子を初めてみましたが、普通の武士と区別してそれと分かるような恰好(甲冑など)をしていたのでしょうか。 / 検非違使が行う路次清掃には、どのような道具が使われたのでしょうか。

検非違使の容姿については、特別な着物、甲冑等を着けていたということはありませんが、二条良基『百寮訓要抄』、北畠親房『職原抄』などの書物によると、容儀や富貴のことが別当の条件であったようです。この「容儀」の問題については、丹生谷哲一氏が、断罪から清掃までを含むキヨメとしての性格と関連づけて論じています。すなわち、穢れや秩序の乱れを解消しその場を清浄化するため、美しい装いで威儀を正す必要があったというわけです(同『増補 検非違使―中世のけがれと権力―』平凡社ライブラリー、2008年、初刊1986年)。ちなみに清掃の道具については、ざっと調べてみましたが規定がありません。検非違使以前に清掃を担っていた左右京職、左右兵衛府にも道具の規定はないようでした。恐らくは木工寮などで作成した箒を用いたものでしょうが、もう少し確認してみます。