門は二層の場合、上層は探題のような機能を持っていたのでしょうか。また、平城京は一層だったとの説があるとのことですが、それは二層の必要がなかったということでしょうか。

楼閣建築の門には、仰るとおり、索敵や防備のための「櫓」としての機能があります。ただし、常に戦乱のなかにあった中国の都城に比べ、日本の宮城は権力の荘厳、権威の誇示により力点が置かれていたものと思われます。奈文研の清水重敦さんの単層説はまだ論文化されていないようですが、例えば下記などにまとめがあるので参照してください。規模の相違こそあれ、ちょうど『信貴山』でみた大仏殿に近いイメージです。
http://taisi123jp.exblog.jp/9419153/