縄文人は信仰を持っていたが、現代人のような感情は持っていたのでしょうか?

感情のような遺跡・遺物に明確な痕跡を残さないものを、文献資料が出現する以前の時代に分析するのは難しいですね。生存に不可欠な恐怖はまず存在したでしょうが、現在の基本をなす喜怒哀楽については分かりづらい面もあります。しかし、死者の再生を願うような埋葬法からは喪失への悲哀を読みとれますし、大規模な祭祀の跡からは、自然の恩恵に感謝する興奮の渦、喜びのようなものも窺えるように思います。