死体を怖れていた、というのは、自分の肉親や近親者に対してもそうだったのでしょうか。
すでに、中国湖北省雲夢県で出土したB.C.3世紀の竹簡文献『日書』には、死霊として出現した肉親を撃退する方法が記されています。現在でも、中国の少数民族の間では、死者が生者を死の国へ連れてゆくことを防ぐ儀式が、きちんと葬儀のなかに組み込まれています。生前は愛情の対象であった肉親が、死者となると一転忌避の対象となることは、フロイトが世界各地の事例を網羅して紹介しています。彼の論理では、人間の愛情は完全ではなくどこかしらに憎悪の入り込むもので、対象が死ぬと良心の呵責が自己を破壊するのを防ぐため、逆に対象への攻撃が行われるそうです。果たして、この解釈は正しいといえるでしょうか。皆さんも考えてみてください。