2011-05-02から1日間の記事一覧

いざなぎ流も納西族のトンパも神を祀るものと思いますが、陰陽道は神を操ります。なぜそうしたことが公に認められていたのでしょう。不遜ではなかったのでしょうか。

神を使役するという発想や技術は、日本の神祇信仰のなかにもみられます。祭祀氏族であった忌部氏の担う大殿祭においては、天皇の日常的に起居する宮殿=大殿を保護する屋船命が祀られますが、忌部氏はこれを「汝」と呼び誉めそやしながら使役するのです。こ…

納西族の絵文字は、言語学的にはどのような言語に属するものなのでしょうか。 / 祭文に絵文字を用いることと、例えばインディアンのトーテムポールのようなものとに共通性はないのでしょうか。

納西語はチベット・ビルマ語族イ語グループに属しますが、納西語に精通していなくとも、辞典等を用いてトンパ文字を理解することはできます。トンパ文字には殷代の甲骨文字と似たところもあり、その古さを強調する見解もありますが、例えば「帝」を表す文字…

朱色は辟邪の機能があるとのことですが、具体的にはどのような事例が挙げられますか。

赤色顔料は、酸化鉄系のベンガラ(いわゆる朱。弁柄。インドのベンガル地方の原産なのでこう呼称されるという)、硫化水銀系の辰砂(いわゆる丹。中国の辰州原産)に二分されますが、いずれも、石器時代より破邪の顔料として用いられ、墳墓などには濃厚な施…

完全変態の昆虫などが、信仰の対象とされることはなかったのでしょうか。

日本列島の古い時代においては、昆虫を、死と再生のモチーフとした事例はあまり見受けられません。弥生の銅鐸絵画には、アメンボやカマキリが見受けられますが、稲作との関連(すなわち水田に生息する生物)で注目されたものでしょう。飛鳥〜奈良時代になる…

日本でしか発見されていない動物モチーフなどはあるのでしょうか。 / 日本ではトーテムはあったのでしょうか。

世界の動物モチーフを総覧したわけではないので一概にはいえませんが、イノシシと蛇が融合されて土器のレリーフになっている、通称「イノヘビ」は世界でも珍しい事例でしょう。イノシシは多産な動物ですから、再生の象徴である蛇と結びつくことも理解できま…

カメの土偶にはどんな意味があるのでしょう。

どうなんでしょうね。甲羅を持つという亀の形態的特徴は、アジアでは古くから何らかの信仰を集めていたようです。中国では紀元前7000年頃から、亀甲をつづり合わせたポシェットのような道具が墳墓などからみつかり、前4500年頃には、玉で作られた卜占の道具…

ハート形土偶が気になりました。仮面を被った姿か顔そのものをディフォルメしたものとのことですが、頭の真ん中がへこんでいるのは何か意味があるのでしょうか。あるいは、シンボルとしてのハートを表現する意図があったのでしょうか。

難しいですね。とにかく解釈に用いるための材料が少ないので、妥当な見解を導き出すのは相当に困難です。学界においても「こうした可能性がある」程度で、定まった解釈はないでしょう。個人的には、後に勾玉となってゆく胎児のような形は縄文の遺物にもみら…

インドネシアの殺された女神の神話(ハイヌヴェレ神話)と、日本のオオゲツヒメ神話、ウケモチ神話などにはまったく関連性はないのでしょうか。

ハイヌヴェレ神話自体、文化人類学者によって採取されたのは近代ですから、どこまで遡りうるのかは分かりません。ただし、東〜東南アジアの古代に、栽培作物の起源を「殺された女神」の形式で語ろうとする文化が広く存在したことは確かです。その形式自体は…

女性を豊かさの象徴と捉えるのは分かるが、殺害が豊饒性に繋がるという発想がなかなか理解できない。現代人と古代人の思考の仕方の違いなのだろうか?

アニミズム世界では、生物の本体は精霊であり、その肉や毛皮は人類文化でいう衣服に過ぎないものとされます。つまり、生き物を殺して肉や毛皮を奪っても、そのやり方が祭祀を伴い伝統に準拠していれば、精霊は故郷へ送り返され〈生命〉は失われません。精霊…

日本の性器信仰について、現在でも愛知県には男性性器を崇める祭祀があると聞きます。大半が失われてしまったいま、なぜこの地域だけで残っているのでしょう。 / 女性象徴が多いのは分かりましたが、男性の生殖器を模した土製品などはなかったのでしょうか。

確かに愛知県の田懸神社が有名ですが、それだけではなく、日本にはまんべんなく生殖器信仰が残っています。村々の境界や交通路に立つ道祖神にも、男根や女陰を模した陰陽石をみることができます。これらは、時代によって微妙な考え方の変質はあるものの、縄…

縄文時代は女系(母系)社会といえるでしょうか。 / 縄文時代の結婚形態はどのようなものだったのでしょうか。 / 医療が発達していないと、乳幼児は男子の方が死亡しやすいと聞きましたが、労働力としては男子が大切だったと思います。そうした点から男尊女卑のような視点が出てくることはなかったのでしょうか。 / 女性の神格化が、保護から管理・独占へ移っていったのはなぜでしょうか。

縄文時代から弥生時代については、墳墓や遺存人骨を調査してゆくと、父系偏重でも母系偏重でもない双系的な親族構造がみえてきます。女性が首長の座に就くことも少なからずあったようです。この傾向は、古代国家により家父長制が採用されて以降も、基底的な…

西方や北方を死と関連付けて理解していたとのことですが、大陸でもそうした事例はあるのでしょうか。

最も典型的な事例として知られるのは仏教です。釈迦が涅槃の際、頭を北に顔を西に向け、右脇を下に向けた姿勢であったことは、初期経典の『阿含経』などにすでに見受けられます。これはやはり、生命象徴としての太陽信仰の裏返しで、太陽の通らない北、太陽…

死体を怖れていた、というのは、自分の肉親や近親者に対してもそうだったのでしょうか。

すでに、中国湖北省雲夢県で出土したB.C.3世紀の竹簡文献『日書』には、死霊として出現した肉親を撃退する方法が記されています。現在でも、中国の少数民族の間では、死者が生者を死の国へ連れてゆくことを防ぐ儀式が、きちんと葬儀のなかに組み込まれてい…

環状集落の中心に墓地が置かれるようになる、今まで忌避されていた人骨をめぐるこうした心性の変化は、一体何が原因で起きたのでしょうか。関東や東北に多いということも気になります。また、神々と祖先との関係はどのように意識されていたのでしょう。

確定的な説明はできませんが、幾つかの要因が考えられます。ひとつは、旧石器時代の非定住生活から定住生活へ転換したことで、これまで置き去りにされていた遺体への意識が高まったことが挙げられます。集落の近辺に死体が集積されてゆくことは、そのまま過…