「頌」に関して、神の言葉がリズムをもって語られるのはアジアの文化と仰っていましたが、他の地域ではないということでしょうか? / 呪術とリズムの話に関心を持ちました。なぜ関係しているのでしょうか。身体の問題でしょうか。
講義でも説明しましたが、人間が神の言葉として伝わっているものを、典礼に整理して音律に乗せて述べる、という行為は創唱宗教に多く認められます。キリスト教にも、仏教にも、イスラム教にも確認できることです。しかし冒頭の講義でみたように、神憑りになったユタの口から、神の言葉が歌のようにして流れ出るという現象が存在するのは、一層興味深いことでしょう。神霊の言葉は散文ではなく詩文であるとの発想は、古代ギリシャのデルポイの神託にもみることができますし、古代日本の和歌も、当初は祝詞や祭文と未分離のものでした。音楽や舞踊は、集団を興奮に導き一体化する機能を持ちます。それゆえに、時代と空間とを問わず、祭礼と音楽とは切り離せません。それゆえに神の言葉と音律とが関係するのか、あるいはもっと何か根底的な理由があるのかどうかは、さらに考えてみなくてはなりません。