登呂遺跡の消滅は海進によると考えられたそうですが、古墳寒冷期が認められたとすると、実際の消滅の理由は何だったのでしょうか。

やはり、弥生後期の社会の流動化現象のひとつと捉えるべきでしょうね。この時期には、大阪府の池上曽根遺跡など、かつての拠点的な巨大集落が姿を消しています。寒冷化と鉄器の普及に伴う社会変動が、列島内に大きな動揺をもたらしたものでしょう。