古墳を造るために周囲の森や山を切り崩していたとしたら、何か土砂災害のようなものは起こらなかったのでしょうか。 / 当時は植樹などの方法はなかったのでしょうか。また、どのくらいの周期で土地を移動して新たな土地へゆくのでしょうか。

恐らく、そうした災害は各地で頻発していたでしょう。古墳自体にも、築造中の事故や、完成した墳丘が土砂崩れを起こすこともあったと考えられます。『日本書紀』のなかには、飛鳥京周辺を整備する過程で、各地に土砂崩れや樹木の枯朽などの事態が発生したことが語られています。7世紀、宮殿に用いる木材を伐り出す山々の入り口には山口神社が設置されましたが、その展開を追ってゆくと、飛鳥から藤原、、平城、平安へと都が遷ってゆくに連れて、山口神社も大和から山城へ数を増やしています。主に都の周辺から木材が供給されていたわけで、それらの山々では大変な環境破壊が進行していたでしょう。古墳時代も、あれだけの規模のものを各地に築造していたわけですから、生態系への圧力に対応して災害も頻発したものと想定されます。なお、体系的な植樹法は近世初期に確立される技術ですが、縄文時代からクリ林の集中化が行われていたことからすると、特定の樹木については種を蒔く等々の試みは行われた可能性があります。しかし、樹木を苗木に育てて植樹し、山焼きや下草の伐採、間伐などを繰り返して育ててゆくというあり方は、古代にはもちろん採られていませんでした。回復の方法は「放置」が主で、一定の回復をみるまで伐採地を他の場所へ移す、ということが繰り返されていたものと思われます。