周代は殷に比べて王と占いの「距離」が離れたとのことですが、これは、殷から周への政治体制の変化に伴うものと考えてよいでしょうか。また、その変化の背景にあるものは何ですか。

そうですね、国家の官職制度自体が詳細化・専門化して、分業が進んだ結果といえるでしょう。自ら占断をなす殷王の方が、祭政一致のプリミティヴな王権のあり方をよく伝えています。周王朝では、王権の宗教的権威が王から卜・祝・史へ移管され、機能の拡大を遂げますが、その分王自身の宗教的権威は象徴的なものとなり、内実を失っていったといえるかも知れません。