灼甲を行う際、何度も暗火を押し付けるのは不便ではないでしょうか。なぜそのような方法が採られたのでしょう。

なぜでしょうね。もともとは、そうするしか鑽鑿を局所的に熱する方法がなかったのでしょうが、それが継続的に用いられるなかで特別な意味が付与されていったものでしょう。祭祀などの神聖な行為は手間を惜しんではならない、本来は合理化や形式化の考えが介在してはいけないものなので、灼甲の手間自体はそれほど問題にならなかったのでしょう。むしろ、熟練の技術を要するものとして卜官の専門化に貢献したのではないでしょうか。ちなみに、暗火を灯す荊には辟邪の効能が認められていました。現在の視点で考えると、例えば青銅や鉄の棒ではどうだったのかとのアイディアが浮かびますが、恐らく高熱過ぎて穴が空いてしまい、かえって不便だったかも知れません。