卜官の的中率の問題が出て来ましたが、周の時代になって、殷のような、よい結果が出るまで占うといった形式はなくなったのでしょうか。 / 卜官の試験で、的中率がすぐ判明するということは、そのような内容の占いが行われたのでしょう?
そのあたりを充分解明するのは難しいのですが、説話的史料をみていますと、確かに「一回性の重要度」が増してきている印象はあります(すなわち、我々の考える占いのイメージに近付いてきています)。それは、上記の質問への回答のように、王が卜占の現場から離れたことが関係しているのかも知れません。殷における卜府では、王自身が実践する、もしくは王の命令下で実践が行われるために、複数回卜占してよりよい未来を選択する形式が可能だったのでしょう。周王朝の卜官は、自分自身の能力において神霊と相対さざるをえなかったため、一回性や的中率から生じる責任を背負わざるをえなくなったのではないでしょうか。なお、卜の師弟が受けた任用試験では、的中率の確認においてどのような課題が出されたかは分かりません。しかし、その場ですみやかに結果が判明する課題ではあったはずで、近い未来や隠された真実の予測にかかるものだったと想像されます。