アジアの古代国家において、卜占は中国から入ってきたとのことですが、実践は渡来人が担っていたのでしょうか。 / 日本は亀卜を積極的に受け入れようとしたのでしょうか?中国的なもので、すぐには浸透しなかったと思うのですが。

亀卜の開始は古墳時代ですが、関連の遺物が発見されているのは、玄界灘周辺と関東南部海岸地域に限られます。律令体制における卜部の規定をみますと、伊豆国壱岐国対馬国が卜部の貢上国となっており、上記の遺物出土地域とほぼ重なります。いずれも海上交通と密接な関わりのある場所で、これは亀卜が海外から入ってきたこと、日本の亀卜が中国のそれと異なり「海亀を使う」ことと何らかの関係があるのでしょう。卜部は渡来人ではありませんが、大陸文化・海洋分化と密接な繋がりを持っていた人々だということはできます。古代国家はこれを神祇官の正式な卜占に位置づけてゆきますが、海亀の亀甲の供給という難題もあり、亀卜自体はその後発展せず衰えてゆきます。ただし、対馬八丈島などの地域では、近代まで亀卜が続けられており、関連の文献も多少は残っています。