中臣氏から藤原氏にウヂ名が変わったとき、中臣の役割はすべて藤原に移ったのでしょうか?

いいえ、藤原氏は「政」、中臣氏は「祭」という、祭政一致であったマツリゴトの分化が起こります。しかし、歴史叙述に関する職掌藤原氏へ移るようですね。これは、律令国家のなかで、歴史叙述に関与する機関が太政官寄りとなり(内閣書記である弁官局にて、起居注のような記録が生成されてゆきます。他に図書寮など)、祭祀を司る神祇官と分離されてしまった制度上の問題もあるのでしょう。ただし、『日本書紀』の編纂者自体は機関とは関係なく直接任命されたようですし、その後も撰国史書といった臨時の官職が設けられたりしてゆきます。このあたりの事情は、国の制度を超えた氏族的伝統ともいうべきものが作用しているのかも知れませんね。