宗像大社は女神を奉祀しているのに、沖ノ島が女人禁制なのはおかしいと思います。いつからの禁忌なのでしょうか。

平安時代、女性の穢れ観が仏教の影響によって高まったために寺社の女人禁制が進行してゆくことになりますので、沖ノ島でもその頃には禁制になっていたとみてよいでしょう。日本の神は「穢れを嫌う」ことが特徴とされ、血や肉を却けるものと考えられていますが、これは奈良〜平安期、やはり仏教の影響で国家によって形成されてきたイデオロギーに過ぎず、それ以前は供犠なども普通に行われていたようです。諏訪社などの狩猟と密接な神社では、鹿の生首が供えられる御頭祭など、未だに「古代的特徴」を残す神事が斎行されています。よって、宗像社でも奈良時代頃までは、女性を排除するような禁制は設けていなかったのではないかと思われます。しかし、中世以降の女神に関する説明には、「女人禁制は、女神が女性に対し嫉妬するからだ」との言説があり、この単純な理由が古代の民間信仰にまで遡りうるものであれば、事情は少々違ってくるかもしれません。