2011-06-06から1日間の記事一覧

環境史の参考文献について、質問がありましたので掲載しておきます。

現在、日本列島の環境の変化について通史的に説明している文献で最も妥当な見解が述べられているのは、辻野亮「日本列島での人と自然のかかわりの歴史」(松田裕之・矢原徹一責任編集、シリーズ日本列島の三万五千年―人と自然の環境史1『環境史とは何か』文…

なぜ昔から男女差別があったのでしょうか。それは律令などによって人工的に作られたのですか、それとも人間の本能なのでしょうか。

「差別」は近現代的な人間観に基づいているものの見方なので、それを前近代に直接当てはめて考えようとすることは誤りです。しかし仮に、男女平等の立場に立って女性が不当に扱われる情況を「女性差別」と捉えたなら、それは明らかに社会的・文化的に構築さ…

家族形態についてですが、女性が家長となった場合、その配偶者の男性はどのように扱われるのでしょうか。

講義でお話しした時点での家族形態では、まず5世紀後半の夫婦同居以前の段階においては、男性配偶者はあくまで配偶者であるに過ぎません。家長と子供たちからなる家族のなかでは、我々が現在考えるような家族としては扱われないようです。また、6世紀前半…

古墳時代には、結婚式的なものはあったのでしょうか。

どうなんでしょうね、ぼくも知りたいところです。結婚「式」とは、いってみればそこにおいて成立する二者の関係、あるいはそれぞれが所属する共同体の関係を縛るための呪術です。よって、配偶者となったものどうしが生涯にわたり恒久的な関係を維持すること…

日本的"神"の原型が開発(侵略)/神聖(隔離)の二項対立を内包しているのなら、それは多神教のなかにひそむ一神教的なものといえるでしょうか。

鋭いですね。その二項対立が首長権を背景に拡大した場合、他の精霊や神格を何らかの形で排除し、あるいは吸収し従属させてゆくという事態が生じてきます。そうなるとそれは、「多神教のなかの一神教的なもの」となってゆきます。例えば、7〜8世紀にかけて…

現在でも、家を建てる際に神事が行われているが、これも神社の自然崇拝と同じ二面性を持っているのだろうか。

そうですね。来週少し話をしようと思っていますが、現在の建築に関する神事は、古代に体系化された〈木鎮め〉という一連の祭儀の形式化したものです。現在でも、神社の式年遷宮などではこの形式を踏襲しているところもありますが、まず山の入り口において山…

神祇信仰において、大きな岩や樹木を対象にする以外では、どのような神聖化のパターンが認められるでしょうか。

確かに、例えば山や島に対する信仰でも、そのなかに屹立している巨岩を神の依代にみたて(=「磐座」といいます)、奉祀するというパターンが多いですね。樹木に対しても同様です。そのほかによくみられるのは、やはり講義でも扱った湧水や流水でしょうね。…

古代日本では、海に対する認識はどのようなものだったのでしょうか。

山や川と同様、海に対しても神聖性を覚えていました。とくに海上他界、海中他界の観念は発展して、中世以降にまで受け継がれてゆきます。装飾古墳の壁画をみても、海の彼方に神霊の原郷ともいうべき他界があるとの認識をみてとれますし、『古事記』や『日本…

古代においては、人間と自然の垣根自体が低かったのでしょうか。

確かに、人間/自然、文化/野生という対立項が、現在より曖昧な状態で混じり合っているのが古代的認識ですね。しかし、大陸・半島から伝来した儒教や仏教は、これらの区別を截然と行います。儒教が自然を文明の素材と捉えるあり方は非常に近代的ですし、仏…

宗像大社は女神を奉祀しているのに、沖ノ島が女人禁制なのはおかしいと思います。いつからの禁忌なのでしょうか。

平安時代、女性の穢れ観が仏教の影響によって高まったために寺社の女人禁制が進行してゆくことになりますので、沖ノ島でもその頃には禁制になっていたとみてよいでしょう。日本の神は「穢れを嫌う」ことが特徴とされ、血や肉を却けるものと考えられています…

古代神社の配置についてよくいわれるレイラインは、認めてもよいものなのでしょうか。

レイラインをどういうものとして解釈するか、が問題でしょうね。もっともよくいわれるのは、太陽の運行に関わる方位信仰でしょうが(「ley」と「ray」が混同されている?)、個々の神社の規模であればともかく、列島全域に直線がかかったりするようになると…

そもそも古代の神道は、「神道」と呼べる体系的なものではなかったのではないでしょうか。神道の起源はどこにあるのでしょうか。

神道の起源そのものについては、講義でお話しした自然祭祀にあるとみていいでしょう。その後、王権がとくに信奉した神社を中心に、祭祀の制度化、起源神話の詳細化が進んでゆきます。ときにそれは、中臣や忌部といった祭祀氏族、それぞれの神社の奉祀氏族に…

古墳時代の祭祀には庶民の主体的な関わりがないように思うのですが、民衆が中心になって行う祭祀などは存在したのでしょうか。

古墳時代にも、村落での祭祀の形跡はあります。やはり、古墳や湧水点祭祀に用いられた滑石製模造品を用いたものですね。しかしそれらの担い手は純粋な「庶民」ではなく、中・小規模の村落首長だったものと考えられます。しかし、8世紀の文献のなかには、ま…

高井田3-6号の壁画は、去ってゆく夫へ手を振る女性と解釈されているとのことでしたが、その頃から「手を振る」しぐさは見送りなどの動作として定着していたのでしょうか。

重要な質問ですね。上代の文献などをみていると、別れの際に「比礼(呪具としての布)を振る」という動作が出てきます。これは、幸福を招き寄せたり、逆に邪気を祓ったり、魂を呼び戻したりする所作と考えられていますが、『万葉集』にみえる恋人などへの挨…

船で死者の国へゆくという発想は、後の「三途の川」などと関わりがあるのでしょうか。

三途の川自体は、仏教と道教、もしくは民間信仰が習合して中国で作られてくる観念なので、日本の古墳時代の「船」とは直結はしません。しかし、そもそも生者の世界と死者の世界との間に川が流れているという発想は、川を何らかの境界と認識する自然観に基づ…

死者の世界が夜であるのは、やはり夜に対するネガティヴなイメージが作用していたのでしょうか。

もちろんそうでしょうね。民族社会や前近代社会において神話が構築されるとき、その基底に置かれるのは「二項対立」の構図であるといわれます。生と死、天と地、火と水、昼と夜、などなど。それらが組み合わされ、情況に応じて変換されて、物語が紡がれてゆ…

玄室の天井に描かれている星辰図については、死者が天国にゆくといった意味はなかったのでしょうか。

「天国にゆく」というのとはちょっと違うかも知れませんが、昇仙と関わる可能性はなきにしもあらずです。中国の貴族層の墓からは「昇仙図」なる帛書が出ていて、被葬者が仙界の西王母のもとへ上って仙人になる過程を描いています。星辰図は元来、墓室内に別…

装飾古墳の顔料や道具には、どんなものが使われていたのでしょうか。判明していたら教えてください。

赤色顔料については、以前こちらでも回答したとおりです。主にベンガラを用いているようですね。その他の色については鉱物を利用したものと考えられていますが、従来海緑石を利用したとされていた緑色系統の彩色が、最近のガンドルフィカメラによるX線解析…