『左氏伝』僖公4年条で「公の羭を攘まむ」との表現がありますが、「羭」が子供を表すというのは、遊牧民族の思想と関係するのでしょうか。単に韻を踏むうえでの必要性からでしょうか。

もちろん、当時の中国には、中原周辺にも多くの遊牧民族がいましたので、それとの関連でも考えることができます。しかし、晋という国自体の文化が、牧畜社会・経済と極めて親しかったとみることもできるでしょう。晋が分裂して生じる三国のうち、北の趙は、武霊王が出るに及んで「胡服騎射」という遊牧民の戦法を導入し、諸国に大きな脅威を与えてゆきます。その源流は、すでに晋の時期に存在したのかも知れません。