周子良のように、夢と現実との区別がつかず、夢に執着しすぎて何かしら生活に支障を来した、といった人の例などは実際にあるのでしょうか。

どうでしょうねえ。やはり仏教や道教の修行世界においては、そうした現象は日常茶飯事に起きていたと考えられます。仏教の場合は、現在の日本天台宗でも、菩薩戒受戒の際に仏を目撃する好相行を達成していなければなりません。修行者の得た経験が真正のものであるかどうかは、師弟関係、僧伽、教団のなかで吟味・評価されることになるわけですが、そうしたチェック機能がないと、ますます神秘体験へ埋没してしまう人間が増えるのではないかと思われます。まあ、その「チェック」がどのようになされるのかも問題なのですが。