2011-07-08から1日間の記事一覧
まさにそうですね。親鸞は、得度した当時は範宴と名乗り、法然門下に入って綽空・善信・親鸞と改名してゆきますが、それらはすべて、浄土教史上の高僧たち(後に浄土真宗における「七高僧」に設定)「龍樹」「世親(天親)」「曇鸞」「道綽」「善導」「源信…
財政破綻していますね。講義で扱った梁の武帝などは、自分で建立した同泰寺に自らの身体を施し、これを家臣たちが銭一億万で贖うという「捨身施」を繰り返します。これは梁の財政を酷く圧迫したようですね。
聞いたことないですねえ。『易経』自体は、「○○年に××が起きる」という形式の予言を記録した書物ではないので、眉唾であろうと思います。
かかる形式の話は、後に仏教にも取り入れられ、大きく展開してゆきます。あるいは、もともとは仏教関連のエピソードだったのかも知れません。2人の男は冥界の使者(役人)で、死期の定まった人間をあの世へ連れてゆく役目を帯びています。善悪の価値観を超…
熊はやはり、アジアにおける動物の王というイメージなのでしょうね。『周礼』の方相氏条をみると、辟邪の役割をなす方相氏は熊皮をかぶっており、これは動物の王の威力なのだろうと思われます(ただし、中原の文献からは、その後ほとんど熊の記述は見出せな…
まずやはり大勢においては、近代化の流れのなかで排斥されてゆくことになりますね。しかし大正前後の近代オカルティズムのなかで、大いに見直しが図られることも確かです。夏目漱石や芥川龍之介など、夢を題材とした作家の作品も増えますし、とくに宮澤賢治…
まずは五行による意味づけでしょうね。史料18の白龍は東を向いて飛んできますので、西からやって来たものと考えられます。五行において、西方は金属で、色としては白です。同様に黒は水属、方角は北です。史料5の黒龍は水に関係する北のもの、ということに…
柘榴については、体内にあって宿主の悪業を天帝に報告してしまう三尸の働きを抑制する機能があるようで、三尸酒などの名称で柘榴入りの酒がよく飲まれました。魚菜については、「魚肉を断った食事ではなかった」点が重要なのでしょう。しかし、もともとが夢…
『杜子春』ですね。唐代伝奇の鄭還古『杜子春伝』が原作ですから、似ているのは当然です。ただし、原作の方も芥川作品の方も、「夢で修行をする」という枠組みではなかったように思います。覚めてみたら一瞬の幻だった、という展開ですね。夢のなかで一生の…
どうでしょうねえ。やはり仏教や道教の修行世界においては、そうした現象は日常茶飯事に起きていたと考えられます。仏教の場合は、現在の日本天台宗でも、菩薩戒受戒の際に仏を目撃する好相行を達成していなければなりません。修行者の得た経験が真正のもの…
中国においても、夢に対する考え方には変遷があり、また階層によっても認識のありようが異なっていたようです。敦煌文書の解夢書は、寝ている間に魂がみた現実との思想が根底にありますが、しかし書物のなかには未来のことも書かれていますので、やはり夢が…
夢に関しては、訓練次第でみた夢をかなり長い間鮮明に覚えておくことができるようになったり、夢のなかで自由な振る舞いができるようになったりするようです。起きたらすぐに覚えていることを書き留める、というのが有効な方法のようで、日本の中世初期に活…
いや、ぼくも頭から信じているわけではありませんからね。ただし、易の内的世界からいうと、筮竹を操って卦を出している間は、やはり無心である方がいいようです。自らの恣意を棄て、天・地・人と一体化することが求められるのですね。易は実践しているとそ…