もし聖徳太子が実在しないのだとしたら、何のために捏造が行われたのでしょう?

大山誠一さんは、当時の文明国である中国や朝鮮諸国に対して、まさにその文明を体現する偉人、仏教・儒教を修めた聖人を創り出そうとしたのだとの考えです。ぼくはもう少し限定的に、『書紀』の叙述を「本来」の蘇我氏中心のものから王権中心のものへ転換する、その媒介者として必要だったのだろうと考えています。乙巳の変以前のヤマト王権は、間違いなく蘇我氏が政治的中心にあり、仏教の興隆をも掌握しています。「天皇記」「国記」という史書が本当に作られていたのだとすれば、そこには蘇我氏を主軸に据えた歴史が書かれていたことでしょう。乙巳の変は、反蘇我派の王族・氏族らがその本宗家を滅ぼし、政治の実権と仏法の興隆権を簒奪したクーデターであった。「国記」なども参照しつつ『書紀』が編纂されていったとき、そのクーデターを正当化しうる人物、仏法を尊重し古代国家の基礎確立に関与した王族が、どうしても必要だったのでしょう。ゆえに、蘇我氏全盛期の馬子の時代の有力王族であり、実際に仏教興隆に功績のあった厩戸が選ばれ、粉飾の対象になっていったのではないかと思います。