『日本書紀』が意識した隣国として新羅の名が挙がっていましたが、なぜ新羅なのでしょう。また、『書紀』をみた中国や半島の反応はどうだったのでしょう。

『書紀』が成立した時期、すでに高句麗百済も滅亡していますので、朝鮮半島の国家としては新羅が外交の相手となります。しかし新羅は、白村江の戦いに至る政治情勢のなかで倭国と敵対しており、8世紀にも常に東アジアにおける競合相手として現れてきます。日本は滅亡した百済の王族を吸収した経緯もあり、常に新羅を仮想敵国として設定し度々派兵計画も立てているのです。ゆえに『書紀』編纂の際には、唐と新羅を意識した叙述が行われたと思われます。しかし、『書紀』が両国に送られたという記録はもちろん、それを両国がどう評価をしたかという記録も、現時点では発見されていません。恐らく伝えられていたとしても、唐王朝は正式には相手にさえしなかったでしょうし、新羅では(もちろん彼らは自分自身が中華であると考えていたので)無礼な記事が多いと棄却されてしまったのではないかと思います。