なぜ日本の王朝・国家は、日本の風土に適したものではなく、米を税の主要な対象に据えたのでしょうか。

中国を模倣したこともありますし、弥生〜古墳期にかけてある程度普及していたこともありますが、やはり財源として計算がしやすいことでしょうね。水が豊富な日本列島の環境においては、確かに水田稲作が適合的な部分もあるのですが、北方地域や山間部にまでそれが展開し、周囲の山々を草山・禿げ山にしてまで維持され続けたことには明らかな無理があります。中央集権国家が全国一律の租税体系を模索するのは当然としても、古代から近世に至るどこかの過程で「稲の相対化」が図られていれば、現在のような稲作中心の農業形態は存続していなかった可能性があります。それを是とみるか、否とみるかは好みの問題ではありますが、日本列島の多様な自然環境が、水田という単一な景観に支配されてきたのは確かですね。