比叡山そのものが信仰の対象であったため、御所の門松にもその竹が使用されたのでしょうが、そうした神聖な山から木を切り出すことに畏れはなかったのでしょうか。

中世の文書群からは、寺社の領域に武士や庶民が押し入って伐採や狩猟を行い、寺社が幕府へ訴えたり、あるいは呪詛の法会を行ったりする争論の事例が多くみうけられます。樹木を伐ったことによる仏罰、祟咎の物語などは多く確認できますので、確かに畏怖もあったものと思われますが、それよりも生活のための必要性が強固だったのでしょう。技術の発達等々の要素もありますが、里山的世界が中世後期から爆発的に拡大してゆくのは、中世的な信仰の束縛から人々が解放されたことを意味しているのかもしれません。