トイレの歴史について学んだとき、江戸初期には金肥は野菜や米などと交換され、後、地域ごとに金肥をとりしきる業者が出現したと知りました。農村に貨幣経済が浸透して成金や破産者が出たことと、このトイレの歴史とは関係あるでしょうか?

密接な関連があると思います。金肥の使用は、大都市を抱える地域の郊外農村から普及してゆくとみられますが、それと貨幣経済の浸透とは比例的に進行するものと思われます。昔話によくみられる形式のひとつには、貧しい暮らしを送る老夫婦や独身男性が、外部からもたらされた富により幸福になるというものがあります。村の外に出て英雄になり財宝や地位を得て故郷に帰る、「桃太郎」「一寸法師」などはその典型です。これは、都市の文化への憧憬を反映しているとみることも可能でしょう。また、「鶴女房」で鶴が織る織物が都市で高く売れること、「笠地蔵」で老人が都市へ笠を売りに出るが売れずに帰ってくることなど、農村/都市の貨幣経済による結びつきが強く現れた物語もあります。前近代的な象徴性においては、糞尿は富を生むものとの認識もあり、穢れ感との間で両義性をなしています。「金肥」自体が、富をもたらす財宝との認識が存在した可能性も否めません。