民が首長に、また天皇に各地の産物を捧げるシステムが確立されたのは理解できるが、本当に民衆の一人ひとりに供犠の概念が植え付けられていたのだろうか。

ちょっと誤解があるかもしれません。供犠は王権や国家が始めたものではなく、一般の共同体単位でふつうになされる祭儀です。昨年私もパネリストとして参加した御柱祭のシンポジウムでは、60年余り前まで実施例のあったという、「通りがかった妊婦を殺して神に供える」インドの祭儀が紹介されました。