被差別者を生み出してゆくまでになる殺生や肉食への忌避意識は、逆に人間には向けられなかったのですか。人を殺したり、差別することに対しては、罪業感は抱かれなかったのですか。
もちろん人間に対する殺生も罪業視されました。しかし差別に対しては、現代のような人権思想などない頃でしたので、社会的格差、境遇の相違などがあることは当然とみられていたのです。仏教の輪廻思想などは、逆に現状の格差を肯定し、正当化する論理としても働きました。すなわち、現在差別されるような境遇にある人々は、前世までに大きな罪を犯したのだといった説明で、本人たちへ「自業自得」と諦め・忍耐を迫る。現在から考えますと宗教的暴力そのものです。