以前、ユダヤ人と日本人のルーツは同じではないかと聞きました。本当なのでしょうか。

この見解のルーツは、東京文理科大学(現筑波大学)の学長も務めた佐伯好朗(1871〜1965)による、「太秦を論ず」という論文にあります。彼は中国景教(中国に伝来したネストリウス派キリスト教)の専門家で、昭和16年(1941)、同研究により東京帝国大学より博士号を授与されています。彼は、中国における景教の拠点であった太秦寺に言及しつつ、京都における渡来系氏族秦氏の本拠地太秦(ウヅマサ)に注目します。同地の木嶋坐天照御魂神社には三本足の鳥居が存在しますが、これは上からみると三角形で、2つ合わせるとソロモンの紋章になる。また、秦氏の族長河勝を祀る大酒(オオサケ)神社は本来「大辟」と書くが、「辟」は「闢」の略字であって、「大闢」はダビデの漢訳に当たる…などなど。これらの憶測を積み重ねながら、彼は、古代日本への景教流入の可能性、秦氏が信者であった可能性を説くわけです。この佐伯説については、いずれも明確な証拠にはなりえないものの、古代日本に異端キリスト教が伝来していなかったとはいいえず、ひとつの考え方として可能性は残されています。しかし、佐伯説を継承して人口に膾炙させていった梅原猛山本七平などの著作はいずれもいい加減なもので、不確かな文献や事象を恣意的に解釈することによって成り立つ「売文」に過ぎません。例えば梅原は、河勝が仕えた聖徳太子の誕生説話(厩での誕生)や片岡山飢人説話(太子が衣を与えた乞食が死後に棺桶からいなくなる)を、それぞれキリストの誕生、死者の復活と関係づけ、聖徳太子信仰の影にはキリスト教があると推測しています。しかし、馬と女性との繋がりは南〜東アジアに広く伝わる神話形式で、キリスト教に限られたものではありません。「棺桶から死者が消える」というモチーフも、中国における神仙伝の常套表現です。梅原はこれらの資料をまったく知らず、印象論で語っているに過ぎません。他もおおむねこの調子なので、(アカデミズムではないと無礙に却けることはナンセンスですが)きっちり批判的に読み込んでゆくことが大切です。