ストーンサークルから分かる死生観が興味深かった。大湯遺跡の件ですが、当時の人々は夏至を認識していたのでしょうか。また、夏至には何か意味があるのでしょうか。

暦を持たなかった縄文時代の人々が、現代でいう夏至にいかなる認識を持っていたかは分かりません。しかし、大湯遺跡での計測が事実ならば、それによって、「何らかの特別な意識」を抱いていたのだと知ることができるわけです。狩猟採集社会に生きていた彼らは、現在の我々より、自然に対する感性や観察力に優れていたと思われます。また、死と再生の信仰の強さからすると、東から西へ循環する太陽のあり方にも関心を持っていたでしょう。正確な夏至のあり方を割り出していたかどうかはともかく、一定の周期で訪れる「昼間が最も長い時期」にとくに注意を払い、そのときに沈みゆく太陽へ、ちょうど出産直前の女性土偶を破壊する行為と同じような象徴性を見出していたのかも知れません。