環状集落において、墓域が周縁から中心へと移動したとのことですが、当時は幽霊などの概念はなかったのでしょうか。現代では死者=畏怖というイメージですが、当時は死者=神聖だったのでしょうか。

講義でもお話ししたように、縄文期にも死者を恐れる意識は存在しました。しかし、その死体をあえて集落の中心へ移動させたのは、死者に対し恐怖を越える社会的機能を見出したためでしょうね。それだけ、集落や共同体の結集が必要であったということですから、やはり気候の寒冷化などの問題も関係しているのかも分かりません。