装飾古墳に使われる鮮やかな色彩は、どのように作られたのでしょうか。また、その顔料の作成や描画を行ったのは、専門の職人だったのですか。 / 被葬者への施朱は、いつ頃まで行われていたのでしょうか。 / 壁画に用いられている他の色にも、朱のように特別な意味があったのでしょうか。

多くは、岩石を砕いて製作した顔料によるものですね。その作成と描画に関しては、専門的知識・技術を持つ氏族集団が存在したと考えられます。例えば、喪葬儀礼全体を統括していた土師氏。彼らの配下では、恐らく施朱に従事していた赤染氏・常世氏などが活躍していたので、他の色の場合も彼らが担ったか、あるいは同様の氏族集団が存在したものと推測されます。各色の意味については明確ではありませんが、例えば中国の陰陽五行説(木・火・土・金・水の五元素にあらゆるモノ・現象を配当し、その生成関係や対立関係から世界のありようを説明する考え方)では黄は土属で中央(後に皇帝の色となる)を表し、青は木属で東、季節では春(生命の湧出)を表します。いずれも赤と並んで重要な色なので、次第に同様の考え方に基づき用いられていった可能性はあります。