他界の食べ物を食べると帰れなくなるというモチーフはよく耳にしますが、普遍性のある理由が何かあるのでしょうか。また、3人の人間が冒険に出て一番最後の者のみ成功するという話もよくありますが、3という数字には世界共通の意味があるのでしょうか。
食物は捕食主体の身体を構築するものですから、生命は食物によってその土地に生かされている、別の言い方をすれば束縛されているという発想が、古くからあったようです。これが社会的に複雑化してきますと、ある社会なり共同体なりに新しい成員が加わるとき、そこで作られた料理を食べさせることで帰属の証とする通過儀礼が生じてきます。平安時代には「三日夜の餅」という儀礼があり、露顕(ところあらわし)という、現在の結婚披露宴の一環として行われました。具体的には、露顕の夜に新郎新婦へ祝いの餅が供されることで、妻家の竈で作った料理を食べさせ婿を同族化する意味があると推測されています(中村義雄『王朝の風俗と文学』塙選書、1962年)。喪葬儀礼も、死者を現世から他界へ送り、帰属させるという意味では通過儀礼の一種ですので、恐らく発想の根幹は同じでしょう。
「3」の問題には、確かに世界的な普遍性を認めることができます。中国では、3本足で立つ鼎が天位を象徴することにもみてとれるように、3は宇宙を表現する最も基本的な数字と考えられていたようです。殷代後期の亀卜では「三卜制」という、卜者が3人で占って多数決を取る方式が採用されていましたが、以降神霊と交渉する祭祀や儀礼の場では、3度・3回といった度数が常套化してゆきます。後付けの考え方では、3はそれぞれ天・地・人を表すとされますが、もっと深く根本的な意味があったのでしょう。