沖ノ島祭祀と同時期の朝鮮半島や中国でも、同じような祭祀を行っていたのでしょうか?

日本古代の祭祀は、多く中国や朝鮮半島の影響を受けてきました。やがて成立してゆく律令の祭祀規定「神祇令」も、中国唐令の「祠令」に基づき、日本列島の実状に合わせて改変を行ったものでした。狭義の祭祀ではありませんが、例えば古代国家で最も位置づけの高い卜占である亀卜・骨卜では、弥生時代最大の卜骨遺跡である鳥取県の青谷上寺地遺跡から、3枚の鹿骨がセットになった状態の卜骨が出土しています。これと同じものは、朝鮮半島南部の勒島でも出土しており、朝鮮と日本で同種の占い方が実践されていたことを想定させます。実はこれは、中国の殷王朝晩期に行われていた「三卜制」という卜占の形式で、同一の主題に対し3人が占い、多数決で結果を決定するというものです。中国古代で培われた方法が、朝鮮半島や日本列島でも使用されているのであり、東アジアにおける思想・宗教的連関を考えるうえで非常に重要な事例となっています。